甲冑をまとい薙刀で奮戦!戦国時代、城主不在の城を10日間守り抜いた女傑・市川局を紹介!

拾丸

以前、城主不在の中で城主の代わりに敵軍と戦い抜いた女傑・妙林尼をご紹介しました。

守るために戦いを選んだ!非戦闘員と共に敵軍を16回退けた女性「妙林尼(みょうりんに)」の決死の戦い

戦国時代には、お田鶴の方や甲斐姫といった女性たちが武器を持って戦ったのはご存知の方も多いでしょう。[insert_post id=122360]しかし、今回ご紹介する妙林尼(みょうりん…

実は妙林尼のように城主の代わりに敵軍と戦った女性が戦国時代にもう1人いました

その人物は市川局(いちかわのつぼね)で、毛利氏家臣・市川経好(つねよし)の妻です。

今回は、そんな市川局の活躍や夫の市川経好についてもご紹介します。

吉川氏をルーツにもつ市川局

市川局は生年は不明ですが、父は宮庄基友(みやのしょう-もととも)もしくは石経守と言われています。

両者共に吉川氏一門の人間なので、市川局は吉川氏にルーツを持っていることがわかります

また、夫の経好も吉川氏の一門をルーツに持つ人物。

父は吉川経世で、父と共に従兄で吉川氏14代目当主だった吉川興経(おきつね)に不満を表し、毛利元就の次男である元春を吉川氏の時期当主にする計画に加担しました。

夫の経好が高嶺城の城主となる

経好は元春を吉川氏の当主にすえた活躍によって安芸国市川邑(現在の広島県広島市安佐北区)を拝領されますが、興経に対する罪悪感があったのか蟄居。やがて元就の求めに応じて仕えました。

その時に市川邑の名前から吉川より市川へ変えています

その後の弘治3年(1557)には行政に関する能力が認められ、山口奉行に就任しました。

その際に、元就が大内氏を滅亡させた防長経略後に手に入れた周防国山口(現在の山口県山口市)にある高嶺城の城主となりました。

4ページ目 城主不在の中、必死の抵抗で城を守る

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了