平安貴族と聞くと、何だか日がな一日和歌を詠んだり蹴鞠をしたり、暗くなれば夜這……もとい恋愛を楽しんだりしているイメージがあります。
しかしそれは王朝文学(平安文学)に描かれた一側面であり、実際の貴族は仕事に忙殺されることが少なくありませんでした。
そんな貴族たちはどんなシフトで働いていたのでしょうか。今回はその一例を紹介したいと思います。
現代とあまり変わらない?1ヶ月で10日の休日
諸官庁から上がってきた案件を取りさばき、最終的な決定を下す外記政(げきせい。外記庁会議)では、6の倍数を定休日としていました。
つまり6日、12日、18日、24日、30日の5日間ですね。
そう聞いて2月は30日がないけどどうするの?休みが減って損だよ、と思った方はご安心ください。
当時は太陰暦を採用しているため、毎月必ず30日なのです。
※季節のズレは4年に一度の閏年の閏月で調整しました。
これだと休みは6日に1日。おおむね週休1日ですね。
しかし外記政では賜暇(しか)という制度がありました。これは天皇陛下より賜る休暇。これが月に5日間あります。
合計すると定休日5日+賜暇5日で10日間。30日に対して10日の休みですから、おおむね週休2日となりました。
みんな一律に与えられたのか、それともシフトを組んで対応していたのかは分かりません。
軽微な案件ならシフト対応、重大な案件については全員出勤だったのでしょうか。この辺りについて分かると、個々の事情がうかがい知れそうですね。
しかしちゃんと出勤しない者が少なくなかったようです。