平安時代のトイレとしてまずよく出てくるのが「樋箱(ひばこ)」とよばれる持ち運びトイレ。今でいう「おまる」のようなもので、貴族たちは用を足したくなったらこの樋箱担当の女官を呼びつけます。
彼女らは樋洗(ひすまし)や須麻志(すまし)女官とよばれ、かけつけると御簾(みす)で周りを取り囲み、主人をその中で用便させました。姫君たちは十二単を着用しているので、非すましたちは着物を持ち上げてあげたりしたそうです。
樋箱は木でできた箱で、引き出し式になっており、そこに砂や灰を敷いて上から用を足したら取り出して捨てるようになっています。なので用が済んだら樋殿(ひどの)とよばれる場所に運んで引き出しの中身を捨てて、洗いました。ちなみにこの頃から、ふき取り用に紙を使用するようになったといいます。
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余談ですが、かつてはフランスでも長らく、陶器や椅子型などの様々なおまるを使用しており、やはり姫君たちのおまるは下女が庭に行って捨てたというから、発想は同じですね。