昔から滅私奉公(私を滅して公を奉る≒自分を殺して社会に尽くす)などと言われるとおり、自己犠牲の精神や実践はとても尊いものとされてきました。
しかしそれも場合によりけりで、必ずしも盲目的に評価されるわけではなかったようです。例えばそれは、どんな場合だったのでしょうか。
今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、徳川家康に仕えたある家臣のエピソードを紹介したいと思います。
刀を振り回す乱心者を、素手で取り押さえる大武勲。しかし家康は……。
それはある時のこと、家康のとある側近がいきなり乱心(発狂)して抜刀。家康の面前で同僚に斬りかかりました。
「すわっ、何事か!」
にわかに現場が騒然とする中、家臣の一人がそのまま立ち向かい、乱心者を取り押さえたそうです。
「その方、大丈夫か?」
「案ずるな。かすり傷じゃ……」
額に傷こそ負ったものの、刀を振り回す暴漢を素手で取り押さえたということで、その者の評判は一気に高まったと言います。
「これはきっと、手厚く恩賞を賜わるに違いなかろう……」
しかし家康は、その家臣に対して一切恩賞を与えませんでした。周囲の者たちは愕然として、ひそかに家康を非難したとか。
(命がけで主君を守ったというのに、恩賞どころかお褒めの言葉もないとは一体いかなる了見か……)
このままでは今後、家康の身に何かあっても家臣たちは命をかけて家康を守ろうとはしなくなるかも知れません。
そんな家臣たちの不満を読み取ったのか、家康は恩賞を与えなかった理由を聞かせたのでした。