まさに血みどろ!榊原康政の志を受け継ぎ「大坂の陣」を戦い抜いた息子・康勝の最期【どうする家康】

徳川四天王の一人・榊原康政。若い頃から徳川家康を支えて来たものの、家康の天下を見ることなく世を去っていきました。

しかしその志は息子たちに受け継がれ、代々徳川家を支えることになります。

という訳で、今回は榊原康勝のエピソードを紹介。果たしてどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。

父の跡目を継ぐも、領国経営は今ひとつ?

榊原康勝は天正18年(1590年)、榊原康政の三男として誕生しました。

ちょうど豊臣秀吉が北条氏政・氏直父子を滅ぼして天下統一を果たした年ですね。

元服して通称は小十郎。諱(いみな。実名)ははじめ榊原政直と言いましたが、家康から康の字を拝領。康勝と改めました。

慶長11年(1606年)に父・榊原康政が亡くなると、三男ながら上州館林藩10万石の遺領を継ぎます。

長兄の大須賀忠政は他家へ養子入りしており、次兄の榊原忠長は早世していたためです。

かくして館林藩第2代藩主となった康勝ですが、その財政は早くも急傾斜。舅の加藤清正から財政再建の助言をもらっていたと言います(※康勝の正室は、清正の娘・本浄院)。

彼の代になってから傾いたのか、あるいは父の代から重ねた無理が表面化したのか……いずれにしても武勇ひとすじタイプで、あまり経営感覚には秀でていなかったようです。

2ページ目 大坂の陣で痔を発症、血みどろで戦い抜く

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