今回のサブタイトル「二人のプリンス」というのは、頼りない徳川秀忠(森崎ウィン)と成長著しい豊臣秀頼(作間龍斗)の対比かと思っていたら、戦い続ける徳川家康(松本潤)と既に戦いから下りた今川氏真(溝端淳平)の対比でもあったようですね。
再び戦乱の世に戻したくない「我らが神の君」に対して、あくまでも徳川討伐にこだわり、挑発を繰り返す茶々(北川景子)たち。
そしてとうとう方広寺の鐘銘事件が起こり、開戦は避けられなくなってしまった……との事です。
家康「戦を求める者に、天下を渡すな」
茶々「家康を倒して手に入れてこそ、まことの天下であろう?」
ちょっと何を言っているのか分かりませんが、とにかく次週は皆さんお待ちかね?大坂の陣へ突入していきます。
それでは今週もNHK大河ドラマ「どうする家康」、第45回放送「二人のプリンス」気になるトピックを振り返っていきましょう!
家康が秀頼を脅威に感じた二条城の会見
武家の棟梁として、公家である豊臣家を祭り上げてしまおうとする家康に対して、あくまでも武家として徳川の下位から天下を狙わんとする秀頼。
どっちが上座の下座のと争いながら、ついに家康から下座を勝ち取った?秀頼は、世論を味方につけることに成功したようです。
後世に伝わるところの「二条城の会見」で、家康は秀頼の優秀さを見抜き、豊臣を滅ぼす決意を固めたと言います。
時は慶長16年(1611年)3月28日、二条城の会見を『東武談叢』はこのように伝えました。
廿八日 秀頼公大坂の城を発駕有て上洛なり是は家康公に謁せらるべき為也其故は家康公御齢既に七十に成らせられける故御在世の間に天下一統に安静に皈すべき思召にて当時御上洛の節秀頼公へ久々御対顔なされず候間御上洛あるべき由を仰遣はされけるに大坂にて評議に太閤御他界以後とても大御所毎年大坂へ御下向有て秀頼公へ御対面有し処に今更秀頼公の御上洛あるべき■其謂れなし家康公早々大坂へ御下向有へき旨返答に依て京都大坂騒しく江戸駿府にてもひそめきけるを浅野幸長加藤清正両人秀頼を諫申て無事を成され廿七日に大坂を立玉ひ今日伏見より輿にて入洛なり……
※『東武談叢』第四十五 慶長十六年「秀頼公上洛 神君御対顔」
かねて自分に臣下の礼をとらせようとしていた家康に対し、今さら頭を下げられない秀頼。加藤清正と浅野幸長のとりなしによって、ようやく会見が実現の運びとなります。
……秀頼二条の城へ入玉ひ家康公御対面也清正幸長輝政以下へも遥く扈衛しける叚(段)を慰労し玉ふ此節秀頼公より御進上物の目録如左 清正記第六に委くあり御太刀真守 御刀一文字号南泉 御脇指左文字 駿馬一匹 黄金三百枚 猩々緋三枚 緞子二十巻 錦十巻進ぜらる其礼式終りて後御饗応■美を尽されたり……(中略)……扨秀頼御暇を仰らるゝ■家康公より御腰物左文字 御脇指吉光鍋藤四郎と号す又は薬研藤四郎とも云 蒼鷹三連秀頼へ進せらる角て秀頼二条の城を御出有て……
※『東武談叢』第四十五 慶長十六年「秀頼公上洛 神君御対顔」
秀頼が二条城へ入ると、家康は秀頼を護衛してきた加藤清正・浅野幸長・池田輝政をねぎらいます。
そして秀頼から豪勢な引き出物が贈られました。
一、真守の太刀
一、一文字南泉の刀
一、左文字の脇差
一、駿馬一匹
一、黄金三百枚
一、猩々緋三枚
一、緞子二十巻
一、錦十巻
心尽くしの贈り物に家康は上機嫌。型どおりの儀礼を終えると、手厚くもてなしたのでした。
やがて饗応が終わって秀頼が暇乞いをすると、家康からも返礼品が贈られます。
一、左文字の刀
一、吉光の脇差(鍋藤四郎、または薬研藤四郎)
一、蒼鷹(あおたか)三連(もと。鷹の単位)
会見の裏で家康と清正が密談するなど、水面下では両家の対立はあったものの、表向きには平穏無事に終わったのでした。
それにしても、あれほど露骨に「私は賢いですよ」とアピールしては、家康が「潰しておかねば」と危惧するのも無理はありませんね。