全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【後編】

食事・排泄の状況も記録

【前編】では、孝明天皇が亡くなった際の状況を説明しました。

全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【前編】

幕末期のキーマン江戸時代は、基本的に天皇家は政治の表舞台から引っ込んでいましたが、幕末期になって政局を左右する存在として目立つようになったのが孝明天皇です。孝明天皇宸影(Wikipedia…

本稿では、当時から噂されていた「岩倉具視犯人説」について検証しましょう。

孝明天皇が亡くなるまでの二週間の間の食事状況は克明に記録されており、歴史家の磯田道史「御痘瘡ニ付両役来書写」という古文書をもとに調べ上げています。

この古文書は、幕府に帝の病状を報告した文書の写しで、それによると孝明天皇の食欲は、亡くなる直前まで旺盛だったそうです。

亡くなる三日前の22日には、侍医団も「天皇の疱瘡は山場を越えた」とはっきり宣言しています。また23日もしっかり食事を採っており、トイレにも自分で立っています。

ちなみに、御所のトイレは砂と紙を使った引き出し式のものでした。さらに当時の帝は革製で漆塗りのおまるも使っていたことから、亡くなる直前の天皇の排泄の様子や便の量もきちんと確認されています。

2ページ目 「岩倉具視犯人説」の噂

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了