織田信長が茶の湯を学んだ天下三宗匠の一人・今井宗久とは何者?【どうする家康】

NHK大河ドラマ「どうする家康」、皆さんも観ていますか?筆者は毎週欠かさず観ており、徳川家康(演:松本潤)が早く天下人の器に成長してくれないか、いつも楽しみにしています。

さて、戦国時代の教養と言えば有名なのが「茶の湯」、現代で言う茶道です。劇中ではあまりお茶を点てているのを見かけませんが、当時の大名や武将たちは織田信長(演:岡田准一)はじめ多くの者がこの一大カルチャーに熱狂したものでした。

今回はそんな戦国時代の茶道界をリードした「天下三宗匠(てんがさんそうしょう)」の一人・今井宗久(いまい そうきゅう)を紹介。果たして大河ドラマには登場するのでしょうか?

信長の天下布武を支え、強大な権益を獲得

今井宗久は永正17年(1520年)、今井氏高(うじたか)の子として大和国高市郡今井村(奈良県橿原市)に誕生しました。

通称は彦八郎(ひこはちろう)または彦右衛門(ひこゑもん)。元服して今井久秀(ひさひで)、のち今井兼員(かねかず)と改名します。今井「宗久」は出家後の法号です(以下、宗久で統一)。

『寛政重脩諸家譜』によれば今井家は清和源氏の流れをくみ、今井兼平(いまい かねひら。木曽義仲の乳兄弟)の末裔だと言います。

しかし今井兼平は中原氏であるため信憑性には乏しそうです。最初は清和源氏を称していたのが、後に同姓つながりで今井兼平の子孫に鞍替えした(名前に今井の通字である兼を入れた)のかも知れません。

後に和泉国・堺へ移住して納屋宗次(なや むねつぐ)の世話になり、天下に名高い茶人・武野紹鴎(たけの じょうおう)から茶の湯を学びました。

多くの弟子たちに抜きんでて才覚を示した宗久は武野紹鴎に見込まれてその娘婿となり、武野家の家財や茶道具などを譲り受けたそうです。

武野紹鴎の後継者として名声を高めた宗久は、茶の湯を通じて各地の大名と交流を深め、足利義昭(演:古田新太)に近侍したと言います。

やがて上洛を果たした織田信長が、堺の商人たちに矢銭(軍資金)を要求すると、いち早くこれに応じました。

これによって信長とのつながりを得た宗久は交易や銀山経営、火縄銃や火薬の製造に携わるなど強大な権益を獲得します。

かくして信長の天下布武を支えながら茶頭(さどう)として存在感を示し、千利休(せんの りきゅう)・津田宗及(つだ そうぎゅう)と共に天下三宗匠と称されたのでした。

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