実は流行の最先端だった「コロッケ」!材料のジャガイモとともにその由来と歴史を追う
コロッケの誕生
日本人なら誰もが一度は食べたことがあるコロッケ。今回はそのコロッケと、材料として欠かせないジャガイモの歴史を紐解いてみましょう。
コロッケは、明治時代に日本に伝来したフランス料理のクロケットが元になっています。
当初、クロケットはブラウンソースやジャガイモを使った贅沢なもので、高級料理という位置づけでした。一般庶民には手の届かない存在だったのです。
しかし、明治時代半ば頃から日本人の好みに合うようにアレンジされ、コロッケとして手頃な価格で提供されるようになります。これが、時代が下るに従って庶民のおやつレベルの手頃さになったわけです。
クロケットが、安価な惣菜としての「コロッケ」になった決定的な出来事は、チョウシ屋という精肉店でコロッケを商品化したことでした。チョウシ屋を立ち上げた阿部清六は、もとは東京の長楽軒というお店に勤めていたのですが、もともとこの長楽軒ではジャガイモを使った揚げ物が好評だったのです。
チョウシ屋がコロッケを売り出したのは1927年(昭和2年)、関東大震災直後のことでした。
こうして、コロッケは肉屋の惣菜としての地位を確立し、広く愛されるようになりました。
ジャガイモの歴史は?
さて、ところでクロケットとコロッケの大きな違いは、何と言っても具材です。コロッケは基本的にゆでたジャガイモを潰して使用しますが、クロケットはジャガイがメインではなく、他の材料も含まれます。
今では何気なく食べられているジャガイモですが、実は料理の食材として使われるようになったのは明治時代からです。
ジャガイモは、江戸時代初期にオランダ人によってジャワ島の港ジャガタラ(ジャカルタ)から長崎に伝えられました。しかし、当初は食材としてはあまり広まらず、主に観賞用として栽培されていました。
しかし明治時代になると、長崎港に多くの外国船が来航し、ジャガイモが大量に輸入されるようになります。特に軍港が置かれた佐世保では、帝国海軍の軍隊食としてもジャガイモが活用されました。
このような経緯もあって、長崎県ではジャガイモの栽培が盛んになりました。その生産量は現在全国二位ですが、当時は日本一を誇っていたのです。
流行の最先端だった「コロッケ」
また、ジャガイモはその後北海道に持ち込まれました。
栽培してみたところ、土地の風土との相性が良く、大量に収穫できることが判明します。北海道の広大な土地はジャガイモにとって適した環境で、ここで生産量が急速に増えていきました。今では、北海道がジャガイモ生産量全国一位なのはご存知の通りです。
こうしてジャガイモは日本国内でも広く栽培されるようになり、やがてコロッケの主要な材料として使われるようになったのです。
「コロッケ」という料理が誕生した歴史的な背景を見てみると、本格的に生産されるようになったジャガイモがメインの食材として使われている点や、しかもフランスの高級料理が元になっている点などからして、実は当時の流行の最先端のレシピだったことが分かりますね。
参考資料
クックドア
DELISH KITCHEN