『どうする家康』21話「長篠を救え!」にて長篠の戦いが勃発します。長篠の戦いでは織田信長や鳥居強右衛門(とりい-すねえもん)の活躍がめざましいですが、武田軍の侵攻を受けた長篠城を守った城主・奥平信昌(おくだいら-のぶまさ、演:白洲迅さん)について、どのような人物なのかあまり知らない方もいるのではないでしょうか。
そこで今回は、長篠城を守り抜いた奥平信昌の生い立ちを紹介します。
今川、徳川、武田を転々
信昌は、弘治元年(1555)に奥平定能(おくだいら-さだよし)の長男として生まれます。当時、奥平氏は今川家に仕えていましたが、桶狭間の戦い敗北後の永禄7年(1564)に徳川家康に仕えました。
元亀元年(1570)に起きた武田氏と徳川氏との間で起きた上村合戦では、兵を率いて武田軍と対峙します。
しかし、武田家と内通していたこともあり、味方の遠山氏が惨敗した様子を見て、戦わずに撤退。以降は武田氏に仕えました。
亀姫との婚姻と前妻の処刑
元亀4年(1573)、武田信玄が病死すると、家康は奥平氏を再び味方に引き入れるべく、使者を送ります。色よい返事が返ってこなかったので、家康は信長に相談し、家康長女の亀姫と信昌を婚姻させるよう提案されます。
その提案に従い、2人は婚姻を結び、奥平氏は再び家康の家臣となりました。
信昌には、亀姫の前におふうという武田氏に人質に出していた妻がいましたが、今回の婚姻で強制的に離縁となります。そして、武田勝頼は信昌の行為に怒りを示し、おふうと信昌の弟・仙千代を見せしめとして処刑しました。