「どうする家康」上洛なんかしている場合か!?第13回放送「家康、都へゆく」振り返り

NHK大河ドラマ「どうする家康」、今回は徳川家康(演:松本潤)が上洛して足利義昭(演:古田新太)に謁見。せっかく茶屋四郎次郎(演:中村勘九郎)に調達してもらった南蛮菓子コンフェイト(金平糖)をぜんぶ食べられてしまいます。

明智光秀(演:酒向芳)の意地悪に嫌気が差した家康が三河へ帰ろうとしたところ、織田信長(演:岡田准一)から援軍要請。わずかな手勢を率いて戦場へと駆り出されるのでした……。

という訳で第13回放送は「家康、都へゆく」。ようやく平定した遠江国を武田信玄(演:阿部寛)に奪われかねない状況下で、よく京都なんて行っておれたものですが、それは史実の徳川家康もそう思っていたようです。

要するに今回の上洛はほぼフィクション。この時期の家康が京都に行っていたとは考えられません。

先週の第12回放送「氏真」と次回(4月16日予定)第14回放送「金ヶ崎でどうする!」の合間に挟んだ息抜き回と思われます。

それでは、今週も気になる点など振り返っていきましょう。

家康は本当に上洛したのか?

劇中では家康の上洛を永禄13年(1570年。4月23年に元亀と改元)。謁見の日に桜が咲いていたので、旧暦2~3月と考えられます。

……是より先遠江のくに引間の城を西南の勝地にうつされ浜松の城と名付らる。永禄十三年に號またあらたまりて元亀と称す。浜松の城規模宏麗近国にすぐれければこの正月より移り給ひ。岡崎城をば信康君にゆづりすませ給ふ。……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「元亀元年家康移于浜松城」

この時期、家康は正月に本拠地を三河の岡崎城から武田領に近い遠江の浜松城(旧:引間城)へと移しました。その目的はもちろん信玄と対決するため、そして平定して間もない遠江の支配を安定させるためです。

岡崎城は嫡男の徳川信康(演:寺島眞秀。当時12歳)に譲り、三河・遠江両国の支配体制を強化していました。

……ことし彌生信長越前の朝倉左衛門督義景をうたんと軍だちせられ。又援兵を望まれしかば。君にも遠江三河の勢一萬餘騎にて。卯月廿五日敦賀といふところにつき給ふ。……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「信長討朝倉義景」

この直後となる3月、信長が越前の朝倉義景(あさくら よしかげ)を討つため兵を起こしており、家康は一万の兵をもって加勢しています。

この辺りの流れを時系列でまとめておきましょう。

永禄13年(1570年)
1月 家康が本拠地を岡崎城から浜松城へ移転
3月 信長が朝倉義景を討つため兵を起こす、家康は一万の兵で加勢
4月25日 家康が越前国敦賀(福井県敦賀市)へ到着

いまだ人心定まらぬ遠江国を治めるために四苦八苦しており、また信長の無茶ぶりに応えて一万の軍勢を揃えた家康。

とてもではありませんが、上洛なんてしている場合ではないのです(京都と三河・遠江の往復はもちろん、軍勢だって一朝一夕では揃いません)。もちろん現時点までに信玄はしばしば侵略の魔手を伸ばしています。

ちなみに、足利義昭が各地の大名に臣従を誓わせるため上洛を命じたというのもフィクションです。

劇中のように「上洛の命令に従わなかったから討伐する」なんて言っていたら、ほぼ全国すべての大名たちを片っ端から倒して行かねばなりませんからね(この時点の信長に、そこまでの力はありません)。

3ページ目 築山殿事件の伏線?幼い信康・五徳夫婦のかわいい喧嘩

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