せっかく北条義時(演:小栗旬)と和田義盛(演:横田栄司)が和解できそうだったのに、誤解によって始まってしまった和田合戦。
時は建暦3年(1213年)、5月2日から3日にかけて鎌倉の街を火の海にした激戦は、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』においてもしっかりと紹介されています。
今回はそんな和田合戦の概略を紹介。大暴れする義盛の三男・朝比奈義秀(演:栄信)はじめ多くの人物が登場するので、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習として読んでいきましょう。
5月2日・その一「和田勢の来襲」
御家人の八田知重(はった ともしげ。八田知家の子)は近所にある和田義盛の館へ続々と軍勢が集結する様子を目撃。これはいよいよ挙兵かと大江広元(演:栗原英雄)に急報します。
知重の連絡を受けた時、広元は客人たちと酒を呑んでいましたが、これは一大事と一人で御所へ駆けつけました。
一方、和田勢に与していた三浦義村(演:山本耕史)と三浦胤義(演:岸田タツヤ)兄弟は北条方に寝返ることを相談します。
「起請文を書きはしたけど、我が三浦は源家累代の家人。その誇りを失う訳にはいかない」というわけで、和田の挙兵を義時へ通報するのでした。
その時、館で囲碁を打っていた義時。報せを受けても慌てず騒がず、目を数えて(対局を終了し、互いにとった陣地=勝敗を確かめて)から烏帽子を正装用に取り換え、水干(すいかん)に着替えてから御所へ参上します。余裕ですね。
実朝「和田が挙兵とのこと、誠か?」
義時「まぁ、近々であろうとは思っていましたが、今朝ということはないでしょう」
でもまぁ、万が一ということもあり得ますから、とりあえず尼御台・政子(演:小池栄子)や千世(演:加藤小夏。坊門姫)ら女性たちは鶴岡八幡宮へ避難させておきました。
和田勢が押し寄せてきたのは申の刻(16:00ごろ)。その主だった顔触れは以下の通りです。
- 和田常盛(つねもり。義盛の長男)
- 和田朝盛(とももり。常盛の嫡男)
- 朝比奈義秀(演:栄信)
- 和田義直(演:内藤正記)
- 和田義重(演:林雄大)
- 和田義信(よしのぶ。義盛の六男)
- 和田秀盛(ひでもり。義盛の七男)
- 土屋義清(つちや よしきよ。岡崎義実の子)
- 古郡保忠(ふるごおり やすただ)
- 渋谷高重(しぶや たかしげ)
- 中山重政(なかやま しげまさ。畠山重忠の子)
- 中山行重(ゆきしげ。重政の子)
- 土肥維平(どい これひら。土肥実平の孫)
- 岡崎実忠(おかざき さねただ。岡崎義実の孫)
- 梶原朝景(かじわら ともかげ。梶原景時の弟)
- 梶原景衡(かげひら。朝景の子)
- 梶原景盛(かげもり。朝景の子)
- 梶原景氏(かげうじ。朝景の子)
- 大庭景兼(おおば かげかね。大庭景親の甥)
- 深沢景家(ふかさわ かげいえ)
- 大方政直(おおかた まさなお。土方政直)
- 大方遠政(とおまさ。土方遠政)
- 塩谷惟守(しおのや これもり)……など。
和田勢は150騎を三手約50騎ずつに分け、一隊を御所(現:清泉小学校)の南門へ向かわせ、あとの二隊は義時の館(現:宝戒寺)を挟み撃ちにします。
討つべきは鎌倉殿ではなく義時。和田一族の怒りが伝わってくるようです(御所へ向かった一隊は、鎌倉殿をお救いするためでしょう)。