江戸時代から続く「チンドン屋」
皆さんは「チンドン屋」はご存じでしょうか? 知っている人にとっては「昭和の遺物」というイメージで、知らない人は「?」となってしまうのではないでしょうか。
しかしこのチンドン屋、きちんとした由緒がある文化で、しかも現在また脚光を浴びているのです。
チンドン屋の始まりは1845年、江戸時代後期に遡ります。
この頃、大阪・千日前の法善寺で飴を売っていた飴勝(あめかつ)という行商人が、竹製の鳴り物と売り声で人気となり、特にその売り声を買われて、ある寄席小屋の宣伝を行いました。
これがチンドン屋の起源と言われています。
それから約40年後、明治時代になり、大阪の勇亀(いさみかめ)が飴勝の商売を引き継ぎました。
勇亀は芝居の口上のはじまりに言う「東西東西」を真似た宣伝方法を採用し、街を練り歩いたことから「東西屋(とうざいや)」と呼ばれるようになります。
1885年になると、東西屋の秋田柳吉という人物が、東京で初めて宣伝を行いました。
彼は「広目屋(ひろめや)」と名乗り、東西屋式の宣伝方法である拍子と口上に、さらに楽隊を加えたそうです。すると、真似をする業者も一気に増えました。
楽隊が加わったことで、その後のチンドン屋のスタイルにさらに近づいていきます。