「お前は何を言っているんだ」山内首藤経俊、敵前逃亡で失った所領の返還を求める言い分に一同唖然【鎌倉殿の13人】

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、源頼朝(演:大泉洋)の乳兄弟でありながら敵対して捕らわれた山内首藤経俊(演:山口馬木也)。

母である山内尼(やまのうちのあま。頼朝の乳母)が助命嘆願してくれたお陰で命を救われ、その後劇中には登場していませんが、あれから経俊はどうなったのでしょうか。

母のコネで出世するが……

頼朝に仕えてからと言うもの、いくつかの合戦に出たり怒られたり(※)、まぁそれなりに活躍していた経俊。乳母のコネもあって伊賀・伊勢両国(現:三重県)の守護となります。

(※)平家討伐の功績として源義経(演:菅田将暉)らと一緒に頼朝の許可なく官職を受けてしまい「肩書ばっかり欲しがって、見合った仕事もしないくせに!猫に小判だ!(官好み、その要用なき事か。あはれ無益の事かな)」と書面で罵声を浴びせられました。

しかし頼朝の死後、元久元年(1204年)になって国元で平家の残党が謀反を起こし、経俊は逃げ出してしまいます。

晴。武藏守朝雅飛脚到着。申云。去月日。雅樂助平惟基子孫等起伊賀國。中宮長同度光子息等起伊勢國。各叛逆云々。彼兩國守護人山内首藤刑部丞經俊相尋子細之處。無左右企合戰。經俊依無勢逃亡之間。凶徒等虜領二ケ國。固鈴鹿關。八峯山等道路。仍無上洛之人云々。

※『吾妻鏡』元久元年(1204年)3月9日条

【意訳】京都守護の平賀朝雅(演:山中崇)より使者が到着。報告によると平惟基(たいらの これもと。雅楽助)の子孫が伊賀国で、平度光(のりみつ。中宮長)の子たちが伊勢国でそれぞれ蜂起しました。恐らく共謀連携してのことでしょう。
経俊が事情聴取と説得を兼ねて出向いたところ、返り討ちに遇って敵前逃亡。賊徒は追い立てる勢いで両国を奪い(虜領し)、鈴鹿関や八峯山などの街道を封鎖。東海道をふさがれた人々は、上洛ができなくなってしまいました。

「やれやれ、仕方ないな」

そこで鎌倉幕府は平賀朝雅に命じて賊徒を討伐させ(4月10日から12日の3日間で鎮圧したので「三日平氏の乱」と呼ばれます)、その武功によって伊勢と伊賀の守護職は経俊から朝雅へと与えられたのでした。

3ページ目 「敵前逃亡は作戦だったのです」経俊の苦しすぎる言い訳

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