秀衡と義経の関係
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、田中泯が演じた藤原秀衡はどんな人だったのでしょうか? 源義経との関わりも交えながら、その人物像を追っていきます。
秀衡は平泉を治める奥州藤原氏の三代目で、奥州藤原氏最盛期の立役者といわれた人物です。
彼は朝廷との関係を重要視して、院政に関わる人物であった藤原基成の娘と婚姻します。さらに上方への献金や貢物、寺社への寄進などを積極的に行い、奥州と上方との友好な関係を築いたのです。
平泉の中尊寺が豪華絢爛な造りであるのも、秀衡のこうした関係によって技術や人が平泉に流れてきたためと考えられています。
このように朝廷や各方面と程よい距離感を保っていた秀衡ですが、上方の戦から逃げてきた源義経に助けを求められてしまいます。
当時、関東でお尋ね者のようになっていた義経を匿うのは、秀衡にとって大変なリスクでした。しかし秀衡は義経を助けることを決めました。
その後も、秀衡は義経を養育していましたが、しばらく経ったある日、義経は兄の源頼朝の挙兵の知らせを聞きつけ、自らも参加すべく奥州を出ようとします。秀衡はこれを強く引き留めました。
このように義経の大恩人ともいえる秀衡ですが、義経の兄・頼朝との関係はあまりよくありませんでした。秀衡の持つ財力や兵力、各方面との繋がりを脅威に思った頼朝は奥州藤原氏を潰すべく、たびたび圧力をかけていたようです。
とはいえ、秀衡は対立を避けるよううまく立ち回っていました。