天照大御神を祀る伊勢神宮。この伊勢神宮の変遷をたどると、意外な理由で造られたことがわかりました。
崇神天皇の時代(推定:3世紀後半から4世紀前半)、即位5年のころ。天変地異や疫病が流行して人口の半ばが失われました。世の中が重くるしい空気に包まれ、弱りはてた崇神天皇は神牀(かむどこ=神様のお告げを聞くための天皇専用の寝床)で眠ります。
すると大物主大神(オオモノヌシノカミ)が現れ、なんと自分が疫病をもたらせている原因だと告げます。そして疫病を治めるには、「意富多多泥古(オオタネヒコ)」に自分を祀らせなさいと告げるのです。
しかし肝心の意富多多泥古が誰を指すのかわかりません。
崇神天皇は四方八方に手を尽くし、なんとかオオタネヒコを探し当てると、彼は「大物主と活玉依毘ひめ(イクタマヨリビメ)の間に生まれた櫛御方命(クシカタノミコト)の子孫」だといいます。
要するにオオタネヒコは大物主大神の子孫だったということで、このオオタネヒコを神主に任命し、大物主大神を大諸山に祀らせたところ、疫病が治まりました。