少し前になりますが、こんな話しがありました。
「女性モノのブラウスは(着ている人から見て)合わせている右側が前に出ているけど、どうして着物は左側が前なの?それは男の人の着方じゃないの?」
確かに言われてみればそうだと思って調べたところ、着物は男女ともに左側を前(相手側)に出して(これを右前と言います)着るのです。
着物で右側を前(相手側)に出すのは「左前」と言って死人の着方になってしまいます。このルール(あるいは習慣)は、いつから生まれたのでしょうか。
今回は、奈良時代に発布された右衽着装法(うじんちゃくそうほう)について紹介したいと思います。
元正天皇、初めて天下百姓に右衽せしむ
二月壬戌。初令天下百姓右襟。……(後略)……
※『続日本紀』巻八 養老3年(719年)2月壬戌(2月3日)条
【意訳】2月の壬戌(みずのえのいぬの日。ここでは3日)。初めて天下の百姓(ひゃくせい。ここではすべての民)に右襟せしむ。
元正天皇(げんしょうてんのう。第44代)が天下万民に対して右襟を命じた……と言います。この右襟とは「右の襟(おくみ。衽)を内側に入れ込んで着る」ことを言います。
ちなみに右衽着装法とは後世の便宜的な呼称。当時の人々がそう呼んだわけではなく「何か襟を右手前に着て統一しろってさ」みたいな感じで聞き入れたのでしょう。
確かにもっと古い時代の埴輪(はにわ)などを見ると、襟が必ずしも同じ向きではなく、たぶん「どっちが前でも後ろでも、自分が快適であればそれでいい」と自由に着ていたものと思われます。
それがいつしか「右襟の着方がイケてる」と上流階級で流行りはじめ、ついには「みんな統一しよう」と先のお触れにつながったのでした。