曽我兄弟による源頼朝(演:大泉洋)襲撃事件への関与を疑われ、出家させられた岡崎義実(演:たかお鷹)。
これまで謀反の疑いを持たれた多くの者が粛清されてきた中、出家ですまされたのは頼朝の挙兵にいち早く駆けつけた忠義ゆえとのこと。
しかしそこに頼朝の姿も感謝の言葉もなく、実のところ「放っておいても脅威にはならない」と見なされたからでしょう。
さて、出家した岡崎義実はその後どうなったのでしょうか。『吾妻鏡』より、その晩年を紹介したいと思います。
泣いて政子に訴えたのは……
朝雨降。日中雖晴天。餘寒甚於冬。今日。岡崎四郎義實入道懸鳩杖。參尼御臺所御亭。八旬衰老。迫病与愁計會。餘命在旦暮。加之。於事貧乏。生涯無所憑。不幾恩地。爲訪義忠冠者夢後。有施入佛寺之志。所殘僅立針。是更難覃子孫安堵計之由。泣愁申。亭主殊令憐愍給。石橋合戰之比。專致大功者也。雖老後。尤被賞翫。早可宛賜一所給之由。被申羽林云々。行光爲御使。
※『吾妻鏡』正治2年(1200年)3月14日条
頼朝が亡くなって1年ばかりが経った正治2年(1200年)3月14日、義実入道は鳩杖をつきながら尼御台・政子(演:小池栄子)の元へやってきました。
「……お久しゅうございます」
挙兵以来の勇士も80歳を過ぎてすっかり老いさらばえ、病に侵され余命いくばくもないありさま。それが泣いて訴えるのですから、見るも哀れな姿と言うよりありません。
「まぁ入道殿、いかがなされました」
「尼御台様、どうかお聞き下され。挙兵以来30年、恩賞にいただいた所領は少なく、ずっと貧乏に苦しんで参りました。その少ない所領も石橋山で討ち死にした倅の菩提寺を建立するために寄進してしまったので、今では針を立てるほどの寸土ばかり。これでは子孫に何も遺してやれませぬ……」
かつて69歳という高齢で挙兵に加わった義実は、石橋山で嫡男の佐奈田与一義忠(さなだ よいちよしただ)を喪っています。
「わたくしもかの戦で兄弟(北条宗時)を喪うております。入道殿はじめ、命懸けで戦うて下さった方々の忠義はひとときとして忘れたことはございませぬ」