川柳に「孝行を したい時には 親はなし」とか「いつまでも あると思うな 親とカネ」なんて作品があります。
いつまでも元気と思って油断していると、気づけば逝ってしまうのが親というもの。
大事なものはなくして初めてわかるけど、後悔は先に立たない世の習い。だから生きている内になるべく親孝行しなさいと、昔の人は伝えました。
親孝行をしなかった(あるいは出来なかった)後悔の辛さは昔の人も変わらなかったようで、今回は平安時代に活躍した山田古嗣(やまたの ふるつぐ)のエピソードを紹介したいと思います。
父親の死を悼むあまり……なぜそこまで?
山田古嗣は延暦17年(798年)、山田益人(ますひと)の長男として誕生しました。
文筆をもって朝廷に仕え、後に地方官として実績を上げたほか、史書『日本後紀』の編纂に携わるなど大いに活躍。
その仕事ぶりは清廉謹厳かつ寡黙であったと言いますから、絵に描いたようなカタブツだったようです。
家庭面では親孝行で知られた古嗣。弘仁12年(821年)に父を亡くした時は、あまりの悲しみと厳しすぎる服喪のため、そのまま死んでしまうのではないかと思うほどのやつれぶりだったとか。
「親孝行は感心だけど、さすがにそこまでは……」
周囲の人々も心配したでしょうが、古嗣には幼いころの後悔があったと言います。