人は見た目が9割だけど…醜い容姿コンプレックスを克服した平安皇族・忠貞王のエピソード

人間は外見よりも中身が大切……確かにその通りではあるのですが、やっぱり見た目が悪いと内面的な魅力に気づいてもらうキッカケすら得られないのが現実です。

もちろん、ある程度は努力(清潔感、身だしなみ等)でカバーできるものの、いかんせんどうしようもない部分がある訳でして……そんなお悩みを持っている方も少なくないはず。

「あーあ、もう少しでも美形に生まれていればなぁ……」

今回は、そんな容姿の悩みを抱えながら内面を磨き続け、ひとかどの人物となった平安時代の皇族・忠貞王(たださだおう)のエピソードを紹介したいと思います。

顔の美醜より天下の公益…幼くして学問を志す

忠貞王は弘仁11年(820年)、賀陽親王(かやしんのう)の子として誕生しました。桓武天皇(かんむてんのう。第50代)の皇孫に当たります。

傳云。忠貞王、容貌甚醜、志尚高邁、幼而就學、粗讀五經、以吏幹見稱云々。出爲外吏、累歴數國、威惠兼帶、民不敢敗。庸簡之風、所在著稱、新良吏化合、守披良基、殆无齊名焉。聲之美、宗室之最也。
※『公卿補任』元慶三年 參議 正四位下「忠貞王(六十)」より

言い伝えによると忠貞王は非常に容貌が醜かったそうです。幼心にコンプレックスを抱いたことでしょうが、その志は非常に高かったとか。

「顔が悪いのは生まれつきだから、私の責任ではないし、どうしようもできない。それよりも大切なのはこれからの人生だ。たとえ顔が醜くても、それを恨んで心まで醜くなってしまったらもったいない。学問を積んで世の人々に役立つことなら、私の努力次第でいくらでも可能性が開けるじゃないか!」

まして自分は皇族として民に傅(かしづ)かれる高貴の身であるから、民の忠誠に値する責任を果たさねばなりません。

顔の美醜などという私欲にとらわれず、天下公益に供するのだ……そう決意した忠貞王は幼少時から学問に打ち込み、五経(※ごきょう)をほぼ読破したと言うから驚きです。

※五経とは中国大陸より伝わった『詩経(しきょう。漢詩など)』『書経(しょきょう。歴史など)』『礼記(らいき。政治など)』『易経(えききょう。占術など)』『春秋(しゅんじゅう。思想など)』で、当時における最高水準の教養でした。

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