モアイ像に象徴される古代文明があったことで知られるイースター島。南東太平洋に浮かぶこの絶海の孤島は、南米・チリ共和国のバルパライソ州に属しています。
1722年のイースター(キリスト教の復活祭)にオランダ海軍提督ヤーコプ・ロッヘフェーンが「発見」したからこの名がついたそうですが、正式名称はチリの公用語であるスペイン語でパスクア島(Isla de Pascua。パスクアは復活祭の意)、現地語名は「広い土地」を意味するラパ・ヌイ(Rapa Nui)と呼ぶとか。
日本から直線距離で5,000キロ以上、最も近い有人島でも2,000キロ以上も離れたイースター島。かつてここが、日本の領土になるかも知れない出来事がありました。
今回はそんなエピソードを紹介。日本に対してどんなアプローチがあり、せっかくのチャンス?をなぜ日本は断ったのでしょうか。
「イースター島はいかがですか?今ならサラ・イ・ゴメス島もセットでお得!」
時は昭和12年(1937年)6月上旬、チリ政府から日本政府に対して「イースター島を買いませんか?」という打診がありました。
当時、チリは海軍力を強化するために軍艦の建造を計画していたものの、その財源がなかったのです。
そこで軍艦の建造資金を捻出するため、イースター島とその近く?(300~400キロほど北東方向)にあるサラ・イ・ゴメス島(Isla Salas y Gómez)と一緒に売却したいとのこと。
余談ながら、サラ・イ・ゴメスとは「サラ(女性名)と(イ)ゴメス(男性名)」の意味で、写真を見ると二つの島がくっついているようです。きっと二人は夫婦か恋人という設定なのでしょう。