女性目当てに男性が集う。江戸時代の宿場町のひとつ「内藤新宿」って?広大な敷地には伝説も

雲川ゆず

”新宿”といえば日本で最も大きな繁華街と言っても過言ではないでしょう。東京都庁などの高層ビル群、新宿駅は1日の乗降客数の多さでも有名です。

そんな東京を代表する場所、新宿ですが、その名前の由来が江戸時代にあったこと、みなさんは知っていましたか?

内藤新宿とは?

内藤新宿とは、甲州街道の日本橋と高井戸の間にあった宿場で、江戸四宿(ほかには東海道の品川宿・中山道の板橋宿・日光街道(奥州街道)の千住宿があります)のひとつに数えられます。

なぜ“内藤”かというと、当時の関東総奉行・内藤清成が徳川家康から拝領したからなのです。

甲州街道において、江戸から数えて最初の宿場でした。もともと甲州街道最初の宿場は高井戸宿だったのですが、これが日本橋からあまりに遠く(約4里(約16km))、交通上不便であったことが内藤新宿開設の背景にあります。

内藤新宿にまつわる伝説

上記の通り、内藤新宿は内藤清成が徳川家康から屋敷地を拝領し居住した場所ですが、この拝領には次のような伝説が残っています。

それは、鷹狩りの際に内藤清成が徳川家康から「馬でひと息に廻れるだけの所領を与えよう」と言われたこと。そして清成は白馬で駆け、その駆けた分の広い土地(約22万坪)を拝領した、というものです。

ちなみに、この白馬は家康のところに戻ってすぐに死んでしまったそうです。新宿区内藤町の多武峯内藤神社に、この伝説に関係する「駿馬塚の碑」が残っています。

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