とかく権力者というのは周囲を振り回すもので、今も昔も振り回されて迷惑する者は後をたちません。
今回の主人公は、平安貴族を代表する権力者と言えば……で有名な藤原道長(ふじわらの みちなが)。
そして今回の被害者?は日ごろ道長に批判的な藤原実資(さねすけ)。果たして両者の間に、一体何があったのでしょうか。
酔った弾みで口約束……
時は寛仁元年(1017年)12月、太政大臣となった道長が新築した二条第(邸宅)でパーティ(大饗)を開きました。
「いやぁ、めでたいめでたい!」
来年正月に孫の今上陛下(後一条天皇)が元服。その加冠(成人の証である冠をかぶせる)役を務めるとあって、道長はもう上機嫌です。
「おぉ、伯父上(実資)!」
日ごろあまり顔を出さない実資が来たことで、ますます機嫌をよくした道長はすっかり淵酔(えんすい。深酔い)。その弾みでこんなことを言い出しました。
「伯父上……身人部保重(むひとべの やすしげ)を今度、近衛府生(このゑふしょう)に任じますぞ。ただちに召し仰せられよ……ヒック」
身人部保重は実資の随身(ずいじん。家来)で、現在は右近番長(うこんのばんちょう)という最下級の官職です。
弓馬の武芸にすぐれた者が多く、兵衛府や近衛府の舎人(とねり)を率いて宮中の護衛や前駆(行列の先導役)などを務めました。
余談ながら、現代でも不良チームのトップを番長と呼ぶのはこの職に由来。恐らく当時の番長たちも、やんちゃな下級役人を従えていたのでしょう。
で、そんな保重が任じられる近衛府生、すなわち府生(ふしょう。史生)とは四等官(しとうかん。官公庁のトップ4)のすぐ下に位置する書記官。
つまり組織のナンバー5。番長からは相当な出世となり、道長の機嫌がよほどよかったことが察せられます。
「真にございますか……ありがたき仕合せ!」
思わぬ部下の出世に喜んだ実資でしたが、ここに律令制度の問題が浮上しました。