よく「名前は親が子供に贈る最初のプレゼント」なんて言うように、名前はその人の印象はもちろん、時に人生さえも大きく左右してしまうことがあります。
だからこそ、とっておきの素晴らしい名前をつけたいと願うのが親心ではあるものの、その方向性がちょっとズレてしまうと、昨今で言うところの「キラキラネーム」になってしまうリスクも。
今回は平安時代、桓武天皇(かんむてんのう。第50代)の妻となった藤原小屎(ふじわらの おぐそ)を紹介。
現代でも屎尿(しにょう)と言う通り、我が子に排泄物の名前をつけるなんて、親御さんは一体何を考えていたのでしょうか……?
鬼や悪霊も嫌がるゆえに……
言うまでもなく、排泄物は悪臭や細菌など不衛生であり、そのため人間のみならず鬼や悪霊もこれを嫌がるそうです。
なので魔除けになるとして、特に死亡率≒鬼や悪霊にとり憑かれるリスクの高かった子供に「屎」だの「~丸(まる。不浄の容器、おまる)」の名前をつけることで、
「これは汚いものですから、とり憑いたらあなたが汚れてしまいますよ」
というメッセージを発したのだとか。
なので、成長して免疫力が高まり、死亡率が低くなると元服してちゃんとした名前に改めるのが通例ですが、彼女はなぜか小屎のまま。
『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』には藤原藤子(とうしorふじこ)との別名が記録されているものの、名づけにちょっと投げやり感も否めず、もしかしたら
「流石に皇統に連なる者に『屎』なんて文字があったら不都合だろう」
と、便宜的に仮称を当てがった可能性も否定できません(藤子≠小屎の別人説もあるようです)が、とりあえず普通に考えれば、小屎が幼名で、成人して藤子と改名したのでしょう。
桓武天皇に入内して延暦7年(788年)に第5皇子の茨田親王(まったしんのう。後に万多親王)を出産、その後のことは記録が残っていません。