虎退治と言えば、戦国武将の加藤清正(かとう きよまさ)が有名ですが、彼より千年以上も昔に朝鮮半島で虎を退治した豪傑がいました。
その名は膳巴堤便(かしわでの はすひ)。欽明天皇(きんめいてんのう。第29代)に仕えて武功を立てたと言いますが、一体どのような状況で虎を倒したのか、今回は彼の武勇伝を紹介したいと思います。
妻子を連れて、いざ百済国へ……
膳巴堤便は生没年不詳、膳大麻呂(おおまろ)の子として誕生、兄弟に膳傾子(かたぶこ。男性)がいました。
『日本書紀』によれば欽明天皇6年(545年)3月、百済国(くだら。朝鮮半島の古代王朝)へ派遣された時、妻と幼い一人息子を同伴したと言います。
「あなた、息子がいなくなってしまいました!」
「何だと!」
上陸した一行が海岸で野営していた夜のこと、妻から報告を受けた巴堤便でしたが、大雪が降り始めたため捜索を断念。
「どうか、無事でいてくれ……!」
翌朝、雪がやんだため、刀を帯びて甲冑に身を包んだ完全武装で息子の捜索に出発した巴堤便は虎の足跡を発見、辿っていくとその巣穴を探し当てます。
もしここに息子がいたとしても、きっと生きてはいないだろう。ならば、せめて仇をとってくれよう……そう思い定めた巴堤便は巣穴の奥に進み、中の虎に挑みかかりました。