秀吉の「関白」の位は大したことがなかった!?歴史上の“天下人”たちと朝廷とのビミョーな関係

イカサマで関白になった豊臣秀吉

豊臣秀吉は「関白」というポストを手にしたことで、天下人としての地位を確固たるものにしたとされています。しかし、朝廷の与えるポストに実質的な意味はあったのでしょうか?

今回はそのような観点から、武家社会と朝廷のポストの関係について考えてみたいと思います。

明智光秀を山崎の合戦で破り、信長の後継者となった秀吉は1585(天正13)年に関白の地位を手に入れます。これで彼は晴れて天下人となったわけですが、実はこれは実力に伴ってついてきたわけではなく、「実力の足りない分をポストで補おうとしたのではないか」という説があります。

 

ポイントになるのは、徳川家康の存在です。

この時、秀吉にとって家康は、簡単には打ち負かすことができない敵でした。もし全力で戦って勝ったとしても大ダメージを負うのは必至で、四国・九州・関東・東北にまだまだ敵対(するかも知れない)勢力がいる中で、それは避けたいところでした。

そこで秀吉は、朝廷のポストを利用することにしました。

実力があったから官位を与えられたのではないのです。家康を従属させるための方策として、官位を利用しようとしたのです。

その証拠に、秀吉はイカサマをしています。朝廷内にある記録を改竄し、自分が過去に重要な官職に就いていたことにしているのです。その経歴に基づき、彼は関白という地位を手に入れたのでした。

3ページ目 「官位」という有名無実の肩書き

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