令和4年(2022年)の放送予定を前に、早くも注目を集めている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。三谷幸喜の脚本が13人の個性や魅力をどれだけ引き出してくれるのか、期待しているファンも多いのではないでしょうか。
しかし、主人公の北条義時(ほうじょう よしとき)はじめメインキャストが13人も(実際にはもっとたくさん)いると全員のキャラクターを描き切るのはとても大変で、多くの作品では名前だけ登場する「その他大勢」扱いされてしまう御家人も少なくありません。
これは『吾妻鏡(あづまかがみ。鎌倉幕府の公式記録)』に残されたエピソードの数やインパクトによるところが大きく、「目立った者勝ち」なのは今も昔も変わらないようです。
しかし、一見地味な御家人であっても鎌倉幕府の草創に果たした役割は大きく、だからこそ「鎌倉殿の13人」に抜擢され、大いに影響力を発揮したのでした。
今回はそんな一人、二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)のエピソードや魅力について紹介したいと思います。
朝廷から送られたスパイ?
二階堂行政は藤原氏(南家乙麻呂流工藤氏)の流れをくむ下級貴族の出身で、生年は不詳ながら、治承4年(1180年)正月の除目(辞令)で主計少允(かずえのしょうじょう。従七位上)に叙せられました。
長男の二階堂行村(ゆきむら)が久寿2年(1155年)、次男の二階堂行光(ゆきみつ)が長寛2年(1164年)に生まれていることから、保延元年(1135年)ごろまでには生まれているでしょう。
その後、母方の実家が熱田神宮の宮司であった伝手で源頼朝(みなもとの よりとも)公に仕え、鎌倉に下向。その詳細な時期は不明ですが、頼朝公が挙兵して鎌倉で勢力基盤を固め、朝廷もその存在感を無視できなくなってきた頃(※)と考えられます。
(※)平氏政権を京都から追い払った木曾義仲(きその よしなか)の粗暴さにうんざりした朝廷が頼朝公に助けを求めた寿永2~3年(1183~1184年)ごろでしょうか。
朝廷との交渉ごとや手続きなど政治的な実務を指導するために派遣されたと見るのが自然ですが、もしかしたら鎌倉の情報を逐一朝廷に報告するためのスパイだったのかも知れません。
『吾妻鏡』での初登場は元暦元年(1184年、寿永より改元)8月、鎌倉政権の公文所(くもんじょ。公文書管理機関)の上棟式で奉行を務め、10月に公文所が完成すると、先に仕えていた大江広元(おおえの ひろもと)を別当(べっとう。長官)に、その兄・中原親能(なかはら ちかよし)と共に寄人(よりうど。スタッフ)として補佐しました。
(※この時、行政が広元&親能兄弟との政治的暗闘を通して頼朝公に惹かれ、忠誠を高めていく様子が描かれると、史実性はともかく胸が熱くなりますね)