稀に見る「ガードの固い才女」だった小野小町
日本では、小野小町(おののこまち)と言えば、クレオパトラ、楊貴妃と並ぶ「世界三大美女」の一人とされています。
しかし、彼女は平安時代の前期に活躍した女流歌人ということ以外に、詳しいことははっきり分かっていません。生没年や父母、経歴すべてが諸説ある謎の女性です。
むしろそんなミステリアスな女性だからこそ、後世にさまざまな「小野小町伝説」が残っているのかも知れません。
詳細不明とはいえ、小野小町の容姿がことのほか優れていたのは確かなようです。『古今和歌集』によると「小野小町は、いにしえの衣通姫の流れである。あわれなようで、弱々しい。まるで、よき女が病んでいるようだ」とあり、当時からすでに絶世の美人といわれ、都の貴公子たちの憧れの的でした。
また『草子洗小町』では、「幸運にも小町と目を合わせることができた男どもは、たちまち呆けたようになって発熱し、ぶらぶら病になる者が少なくなかった」とあります。
彼女のことを書いた作品で最も有名なのは、『通小町』でしょう。小町に恋した深草少将が、「一日も休まず、私のもとに百夜通いをしてくれたら、あなたの胸に抱かれましょう」といわれ、雨にも風にもめげずに「百夜通い」をします。少将は九十九夜まで通い続けますが、最後の夜に精根尽き果て、雪に埋まって凍死してしまうのです。
小野小町は、先に挙げた『草子洗小町』と『通小町』のほか、『卒塔婆小町』など、謡曲の題材にもずい分とり上げられてきました。これも彼女の美しさゆえなのでしょう。
また、小野小町は美しいだけではなく、歌の才能にも恵まれていました。つまり彼女は才色兼備の女性だったのです。『古今和歌集』には彼女の歌が十首以上も記載されており、六歌仙にも選ばれています。
そんな小町ですが、なぜか彼女はめったに素顔を見せなかったとも言われています。のみならず、言い寄る男たちの求婚を片っ端から断り続けて生涯独身を貫きました。深草少将の死にまつわる物語は、小町のそんな「ガードの固さ」の伝説があったからこそ生まれたのでしょう。