溺愛した愛息の死で人格豹変。戦国大名「長曾我部元親」の栄華と没落【後編】

一之瀬 陽平

戦国時代。四国で権勢を奮った大名「長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)」は、名君として知られたが、息子の死によって晩年は人格が豹変した。

今回は【前編】に続き、西国を代表する戦国大名・長曾我部元親の栄華と没落をご紹介する。

前編はこちらから

溺愛した愛息の死で人格豹変。戦国大名「長曾我部元親」の栄華と没落【前編】

戦国期。四国の戦国大名「長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)」は名君として名を馳せたが、嫡男である信親を戦で失うと生来の器量は失われ人格が豹変したという。[caption id="attach…

四国平定

信長の死により勢力を盛り返した元親は、四国平定の過程で羽柴秀吉と対立。度重なる秀吉軍の侵攻を退けた元親は、1584年に伊予国の河野氏を降伏させると翌年までに有力豪族を服属させることに成功。

四国全土を掌握し、長曾我部氏の全盛期を築き上げる。(※長曾我部氏の四国統一には異説も存在する)

嫡男・長曾我部信親との関係

元親には四男四女がいた。中でも1565年に生まれた嫡男・信親は幼少時から聡明であったとされ、元親は遠方から学者や武芸の師を招き英才教育を施すなど、跡取りとして溺愛し育てたという。

信親の「信」は友好関係にあった時代に織田信長から与えられたもので、元服後の信親はは、元親に従い各地を転戦した。

2ページ目 秀吉への臣従と信親の死、そして晩年の豹変

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了