ポスト織田信長を巡って大混乱。生き残りを掛けた織田家重臣たちの運命【中編】

一之瀬 陽平

1582年に起こった「本能寺の変」。織田信長亡き後、織田家家中は跡目争いによって混乱した。今回は【前編】に引き続き、織田家重臣たちが辿った運命をご紹介する。

前編の記事はこちら

ポスト織田信長を巡って大混乱。生き残りを掛けた織田家重臣たちの運命【前編】

1582年。天下統一に最も近い存在とされていた織田信長は本能寺で横死した。この後、信長の元で急成長を遂げていた一派は、主を失ったことで瓦解してゆくことになる。今回は、信長亡き後の織田家重臣たち…

丹羽長秀(にわながひで)

柴田勝家と共に織田家重臣の双璧と呼ばれた人物である。軍事面だけではなく政治面にも明るく、信長に重宝された。

清洲会議では秀吉が担いだ三法師を支持。1583年の賤ヶ岳の戦いでは秀吉側につき、佐久間盛政の軍勢を撃破するなどの武功を上げる。

戦後は越前及び若狭・加賀二郡など123万石を所領として日本有数の大名となったが、1585年に病没。享年51。腸内にできた腫瘍の苦痛に勝てず、自刃したとされている。

池田恒興(いけだつねおき)

幼少の頃から織田家に小姓として仕えた。本能寺の変では秀吉と共に明智光秀を討っており、この功績によって織田家の宿老に列したとされる。清洲会議では秀吉が擁立した三法師を支持。後に摂津国(現在の大阪府から兵庫県地域)に12万石を所領した。

賤ヶ岳の戦いには参戦していない。1584年の小牧・長久手の戦いに秀吉側として参戦するも討死。享年49。

2ページ目 滝川一益(たきがわかずます)

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了