日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前11時から午後1時頃】

風信子

今まで“江戸を生きる人々の1日のタイムスケジュールはどうなっていたか”についてご紹介しています。今回は“午前11時~午後1時頃”についてです。

前回までの記事はこちらを御覧下さい。

日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前3時から午前9時頃】

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日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前9時から午前11時頃】

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真昼九つ(午前11時から午後1時頃)

江戸の昼飯どき

さてもうすぐお昼です。お昼といえば“お昼ごはん”と考えるのが現代人の考え方だと思いますが、しかし江戸時代の初めまでは日本人は一日二食が普通でした。

ところが明暦三年(1657年)“明暦の大火”により、江戸の町は大災害をこうむり焼け野原となりました。そこでまた建築関係などの多数の職人が江戸に仕事を求めて流入してきました。

建築関係の仕事といえば、まずは肉体労働者です。独身男性や、妻や子を故郷に残して単身江戸にやってきた男性達が爆発的に増えました。一日二食では彼らのお腹は満たされません。

そこで様々な外食産業が台頭していったのです。江戸初期の頃は“棒手振り”や“担い屋台”“屋台見世”などという形態で食べものを売り始め、手軽に食事をすることが出来るということで流行りました。

その後、井原西鶴の『西鶴置土産』によると浅草金竜山門前の「茶屋」で、簡単に腹を満たせる“緑茶で炊いた茶漬飯”を「奈良茶飯」と名付けたとあり、それが江戸市中に多くの奈良茶屋として広まり、外食産業の発展につながったのです。

 

一方、家の近くで働く物や寺子屋に行った子どもたちは、一度家に帰ってご飯を食べるようになりました。

江戸の人々は「初物」が大好きです。「初物を食べると寿命が七十五日延びる」ともいわれていました。

「初物」の代表格はなんと言っても「鰹」です。一人では買えない「鰹」を長屋のおかみさんたちはお金を出し合って買い、分け合ったそうです。

 

お金が足りないなら出し合って買えばいいじゃない、というサバサバした女性たちの姿も、江戸の魅力だと思います。

3ページ目 賑わう商家

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