口は禍の元!日本神話の英雄ヤマトタケルが悲劇を招いた失言ワースト3

古来「口は禍(わざわい)の元」とはよく言ったもので、うっかり失言によってとんでもない事態を引き起こしてしまう事例は、枚挙に暇がありません。

それは英雄たちも同じだったようで、今回は日本神話の英雄ヤマトタケルが悲劇を招いた失言ワースト3を紹介したいと思います。

「悲劇の英雄」ヤマトタケル

ヤマトタケルノミコト(倭建命or日本武尊)は第12代・景行天皇の皇子で、幼名はオウスノミコ(小碓王)などと呼ばれていました。

若くして父に疎まれ、全国各地の叛乱を「一人で」討つよう命じられたオウスノミコは、「私に死ねと言うことか!」と嘆きながらも道中さまざまな困難を乗り越え、征服していきます。

しかし勝利を重ねて慢心したのか、得物である「草薙剣(くさなぎのつるぎ。三種の神器の一つ)」を置いて丸腰で伊吹山(現:滋賀県と岐阜県の境)の神に挑もうとして祟られ、命を落としてしまいました。

「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山隠(ごも)れる 倭し麗(うるは)し」

【意訳】倭(=大和国。現:奈良県)は日本でもっとも素晴らしい。豊かな自然に囲まれ、本当に美しい

望郷の念に辞世を詠んで亡くなったヤマトタケルですが、その魂は一羽の白鳥となり、天高く飛び去ったのでした。

父に認めて欲しい一心で数々の困難を乗り越え、英雄的な活躍を果たしながら、ついに願いの叶わなかった悲劇の人生は、今も多くの人に愛されています。

そんなヤマトタケルの悲劇は、どんな失言によってもたらされたのでしょうか。

2ページ目 失言その1:実の兄を「ねぎし」ちゃった

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