明治維新と言えば、近代化された新政府軍と、旧態依然とした(というイメージの)幕府軍の激突した戊辰戦争(ぼしんせんそう。慶応四1868年~明治二1869年)が強くイメージされますが、その近代化された新政府軍の中に「忍者」が参戦していたことは、あまり知られていません。
「時代劇じゃあるまいし、忍者なんて近世以前の遺物じゃないの?」
そう思われる方も多いでしょうが、今回は明治維新の戦場を駆け抜けた忍者たちのエピソードを紹介したいと思います。
プロローグ・甲賀忍者の活躍
歴史上、最も有名な忍者流派の一つとして知られ、伊賀(いが)流と並び称される甲賀流(こうかりゅう。よく伊賀と続けて「こうが」と呼んでしまいますが、正式には濁らないそうです)。
平安時代以降、東国へ向かう交通の要衝である甲賀の地(現:滋賀県甲賀市、湖南市)に土着した武士たちが永く独立状態を保つ中で、後に甲賀流忍術の元となる独自の武芸を発展させたと言われています。
普段は農作で生計を立てながら、自分たちの作った薬を行商して諜報活動を展開。いざ有事には情報と技量を活かした工作活動を遂行しました。甲賀流の特色としては手妻(てづま。奇術)と薬の扱いに長じ、女性の忍者がいなかったことでも知られています。
戦国時代には六角(ろっかく)氏の盟友として室町幕府の追討軍を撃退(鈎-まがりの陣:長享元1487年~同三1489年)、敵軍の後方攪乱や地の利を活かしたゲリラ戦法など、大いに活躍したそうです。