物事は何にしても知っているに越したことはないものの、知らないことを知らないと認めるのはなかなか勇気が要るものです。
そこで多くの人間は「知ったかぶり」をしてしまうのですが、そんな心情は昔の人も変わらなかったようで、今回は古典落語「ちはやふる」から、ご隠居と八五郎のエピソードを紹介したいと思います。
ご隠居・必死の珍解釈!
時は江戸時代、長屋で一番の知恵者として知られたご隠居のところに、「八(は)っつぁん」こと八五郎がやって来ます。
「なぁご隠居、ちょいと教えて貰(もれ)ぇてぇんだがね」
「何だい八っつぁん」
「俺ぁ近ごろ、『百人一首』って奴に凝っているんだが、この和歌の意味が解らねぇんだよ……」
と言って袂(たもと)から取り出(いだ)したる一枚の短冊には、こんな和歌がしたためられていました。
「ちはやふる かみよもきかす たつたかは
からくれなゐに みつくゝるとは」 在原業平【読み下し】
千早振る 神代も聞かず 竜田川
唐紅に 水括るとは【意訳】
竜田川に舞い散る紅葉が括り染めのようで、これほどの美しさは神話の時代にさえ存在しなかったことだろう
……というニュアンスなのですが、実はご隠居、この和歌を知りませんでした。
「ふぅーむ……」
ご隠居は内心で焦りつつ、表向きはそれらしい顔で時間を稼ぎます。
(困ったのぅ……こんな和歌、聞いたこともないわい。さりとて「知らぬ」と申せば馬鹿にされるかも知れんし……)
しかし流石は年の功、頭脳をフル回転させたご隠居は、咄嗟の機転で珍解釈をひねり出したのでした。