「それにつけてもカネの欲しさよ」
とかくカネのかかる世の中ですが、それは昔の人も同じだったようで、随筆『徒然草(つれづれぐさ)』の作者として有名な兼好法師(けんこうほうし)も、おカネには随分と苦労したそうです。
しかし人間の幸せなんてものは、カネの残高よりも心持ち一つでどうとでもなるもの……そんな事を教えてくれる愉快なエピソードを紹介したいと思います。
「夜も涼し……」友人と和歌のやりとり
さて、当時売れっ子として各方面で引っ張りだこだった兼好法師。しかし、その暮らし向きは決して楽ではありませんでした。
「困ったなぁ、もうお米がないや。それと、月末の支払いどうしよう」
なければ調達するしかないのですが、稼ごうにも一生懸命働いたところで収入は安定しない……となれば、借りるor貰う外にありません。
とは言うものの、ただ「米と銭が欲しい」と無心するのも芸がない……そこで兼好法師は、友人の頓阿(とんあ)に宛てて一首の和歌を送りました。
「夜(よ)も涼し 寝覚(ねざめ)の仮庵(かりほ) 手枕(たまくら)も 真袖(まそで)も秋に 隔てなき風」
【意訳】夜もすっかり涼しくなって、粗末な仮住まいに寝起きし、手を枕の代わりに、着物の両袖を布団代わりにするような粗末な生活なので、秋風の寒さをしのげないのです。
……随分と侘しい暮らしぶりが目に浮かぶような歌ですが、だから「米やカネを都合してくれ」というのは、ちょっと遠回しではあるものの、別に気が利いたアプローチという訳でもなく、ちょっと兼好法師らしくないような気がします。
ともあれ後日、頓阿から返歌(へんか。お返しの和歌)が届きました。
「夜(よる)も憂(う)し 妬(ねた)く吾(わ)が背子(せこ) 果ては来ず 等閑(なおざり)にだに しばし問いませ」
【意訳】一晩じゅう待ったのに、愛しの彼は結局来てくれなかったそうですね……誠に残念ではありますが、その理由については、少し考えてみて下さい。
寒いのは(暮らしの侘しさ故ではなく)、愛しの彼が来なかったからでしょう……そんな回答ですが、これを読んだ兼好法師は「我が意を得たり」とばかりに笑い出しました。
悠長に歌のやりとりなどしている場合ではないでしょうに、一体全体どういう意味なのでしょうか……それで結局、カネと米は貰えるのでしょうか。