『豊臣兄弟!』しぶとく再登場!愚将・織田信雄、なんと江戸時代まで悠々自適に生き抜いた驚きの生涯
長いものには巻かれろ。この言葉は、勝ち目のない相手には抵抗せず従った方がいい意味を持つことわざであり、この言葉にぴったりな人物が、織田信雄(おだのぶかつ 演:山脇辰哉)です。
大河「豊臣兄弟!」の劇中では、すでに退場扱いと思われていましたが、10月18日(日)に放送された第40回「あさひの輿(こし)入れ」では、なんと秀吉と家康の和睦の交渉役として再登場しました。
今回は、長いものには巻かれ続けて生きた織田信雄の生涯をご紹介します。
第40回「あさひの輿(こし)入れ」に関する話題は、下記記事でもとりあげています。
『豊臣兄弟!』本当にあった“天正の大地震”とは?規模と被害の全貌――秀吉が家康と和睦した真相
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、10月18日(日)に放送された第40回「あさひの輿(こし)入れ」。ドラマの中ではあさひ(倉沢杏菜)が家康に嫁ぐまでが描かれていましたが、家康との和睦に踏み切った…
【豊臣兄弟!】あさひ(倉沢杏菜)が家康と強制結婚!悲劇的な末路の真相、引き裂かれた夫婦の絆…
小牧・長久手の戦い以来、ずっと対立が続いている中、徳川家康(松下洸平)は和睦の条件として豊臣家の身内を妻として差し出すよう要求してきました。家康との和睦のひとつのきっかけになった「天正の大地震…
織田信長の息子として覇道に貢献(?)した
信雄は永禄元年(1558)に生まれ、幼名は茶筅丸でした。また、同時期に信孝も生まれ、生まれ順的に信雄が三男となる予定でした。
しかし、信孝の母親の身分が低かったことが理由で信雄が次男、信孝が三男として位置づけられます。
そして、永禄12年(1569)には伊勢国(現在の三重県北中部)に勢力を持つ北畠家の養嗣子となります。
北畠家の家督を相続後は、天正4年(1576)に養父の北畠具教(きたばたけ-とものり)や家臣たち14人を謀殺する三瀬の変を起こし、伊勢国を掌握。
勢いを得た信雄は、隣国の伊賀国(現在の三重県西部)も掌握できると高を括り、信長に無断で伊賀国へ侵攻します(第一次天正伊賀の乱)。
この戦いで勝利していたのならいいものの、結果は大敗。無断で兵を率いたことと戦いの敗北が信長の怒りを買い、親子の縁を切ると言われる程の叱責を受けました。
その後は信長が軍を率いた第二次天正伊賀の乱で伊賀国を平定されています。



