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【豊臣兄弟!】軍師・黒田官兵衛には弟が!キリシタン武将・黒田直之、秀長に仕えた猛将の生涯

【豊臣兄弟!】軍師・黒田官兵衛には弟が!キリシタン武将・黒田直之、秀長に仕えた猛将の生涯

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で倉悠貴が演じている天才軍師・黒田官兵衛(黒田孝高)には弟がいました。

今回はその一人でる黒田直之(くろだ なおゆき)を紹介。果たしてどんな人物で、どんな生涯をたどったのか、一緒に見ていきましょう。

「豊臣兄弟!」や軍師・黒田官兵衛に関する話題はこちらの記事で取り上げています。

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羽柴兄弟の家臣として活躍

黒田直之は永禄7年(1564年)3月18日、播磨国姫路(兵庫県姫路市)で黒田職隆(もとたか)と母里(もり)氏の間に誕生しました。

幼名は惣吉(そうきち)、兄には黒田孝高(官兵衛)・黒田利高(としたか)・黒田利則(としのり)らがいます。

元服して通称を市兵衛(いちべえ)と名乗り、黒田正興(まさおき)・黒田道長(みちなが)などの別名も用いました。また図書助(ずしょのすけ)の官途名を許されたそうです。

天正5年(1577年)に14歳で織田重臣である羽柴秀吉に仕え、後に兄の利則と共に羽柴秀長の配下に転属しました。

しばらくは秀長配下として山陰方面の攻略に従軍し、信長死後も兄たちと共に、秀吉の野望を支えることになります。

官兵衛・長政の二代に仕える

直之が秀長の下を離れたのは天正14年(1586年)のこと。長兄の官兵衛が九州征伐へ出た不在を守るため、黒田家に戻りました。

そして官兵衛が豊前国を与えられると、正式に黒田家臣として知行4,558石を与えられたそうです。

随分と中途半端な石多高ですが、恐らくは適当に与えた土地を検地した結果なのでしょう。

もしかしたら、官兵衛との間で「そなたにはあの山からこっち、あの川までの土地をすべて与えよう!」なんてやりとりがあったのかもしれませんね。

朝鮮征伐(文禄の役・慶長の役)では侍大将として朝鮮半島へ渡航し、大いに武功を立てたそうです。

秀吉死後の慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こると、直之は官兵衛に従って九州戦線(富来城攻め・筑後久留米城攻めなど)で奮戦しました。

戦後の論功行賞で甥の黒田長政(ながまさ。官兵衛嫡男)が筑前福岡藩主となったことに伴い、直之は知行1万2千石を与えられ、秋月城代を任されます。

やがて嫡男の黒田直基(なおもと)に家督を譲って隠居し、静養先の大坂で慶長14年(1609年)2月3日に世を去りました。

享年46歳、高厳院殿永峯道永大居士の戒名が贈られ、福岡明光寺に眠っています。

2ページ目 キリシタンだった直之、黒田八虎の一人に数えられる

 

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