斎藤道三の娘にして織田信長の正室・濃姫の波乱と謎に満ちた生涯を追う【前編】
斎藤道三の娘
斎藤道三の娘にして、織田信長の正室でもあった濃姫ですが、有名な濃姫という名前は本名ではなく、「美濃から嫁いできた姫」という意味で呼ばれていたようです。
本名は「帰蝶」もしくは「胡蝶」ともされていますが、これらは江戸時代の書物に記されている名前で、実際は定かではありません。また、父・斎藤道三の居城が鷺山城だったことから「鷺山殿」とも呼ばれていました。
このように、濃姫は謎が多い女性でもあります。その生い立ちなどをたどってみましょう。
彼女は1535(天文4)年に斎藤道三と正室・小見の方との間に生まれました。母・小見の方は美濃(岐阜県南部)の明智家の出身で、明智光秀の叔母にあたるため、濃姫と光秀はいとこ同士ということになります。
その濃姫は、織田信長の正室として知られていますが、実はいわゆるバツイチでした。
最初に結婚した相手は、当時美濃の守護職だった土岐頼純で、嫁いだのは1546(天文15)年。頼純は23歳、濃姫は12歳でした。
ページ: 1 2