戦国時代、農民の家に生まれながら空前絶後の立身出世を果たし、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。
その糟糠の妻(※1)である高台院(こうだいいん)は若い頃から苦楽を共にし、「内助の功(※2)」を絵に描いたような活躍で秀吉を支えたと言われています。
秀吉だけでは天下取りはできなかった! 豊臣秀吉を支えた名補佐役・北政所ねねの手腕【前編】
永らく続いた戦国時代を終わらせ、天下統一を果たした豊臣秀吉。しかしその覇業は、正室・北政所ねねがいたからこそ成し遂げることができました。北政所ねねの生涯については、さまざまに語られています。今…
(※1)糟糠とは酒の糟(かす)や米の糠(ぬか)など貧しい食べ物≒食事を意味し、若く貧しい頃から共に過ごした妻を指す言葉。
(※2)主に妻が夫を「内から助けた手柄(功績)」を表わす言葉。
さて、そんな高台院の俗名(ぞくみょう。出家前の本名)については諸説あるようで、昔の時代劇などでは「ねね」が一般的でしたが、最近では研究が進んで「おね」「ねい」などの説も浮上してきました。
実際のところ、彼女の本名は何と言うのでしょうか。