皆さんは太田資正(おおたすけまさ)という人物をご存知ですか?
資正は戦国時代に活躍した戦国武将ですが、マイナーな人物なのであまり知っている方は少ないかもしれません。
しかし、資正は「人間の最良の相棒」と呼ばれている犬を画期的な使い方をしたことで一部からは認知されている人物でもあります。
今回はそんな資正の犬にまつわる有名なエピソードをご紹介します。
そもそも太田資正って誰?
資正は江戸城を築いた太田道灌のひ孫で最初は上杉朝貞に仕えていました。
しかし、天文15年(1546)の河越夜戦で朝貞は北条氏康に討たれ、資正は北条氏の家臣として仕えることになりました。
北条氏は資正を名門太田家の末裔であることから優遇していましたが、永禄3年(1560)に上杉謙信が小田原城を攻めると資正は上杉氏に寝返ります。
当然、このことを氏康は許すはずもなく資正の治める岩槻城と松山城に軍を送りますが、何度も防衛に成功しています。
上杉氏に寝返った者は良いものの、資正は謙信ではなく常陸国の大名である佐竹義重に仕えます。
このことがきっかけで謙信と絶交してしまうのですが、後に謙信はこのことを後悔し資正との関係修復をします。
また天正3年(1575)には織田信長と交流し謙信病死の報告もしています。信長の死後、豊臣秀吉による小田原征伐(天正18年:1590)にも参陣し北条氏と戦います。
北条氏の滅亡を見届けて満足したのか翌年に資正は70歳で病没します。