明治時代に登場!貯古齢糖(ちょこれいと)
日本でチョコレートが売り出されるようになったのは1875(明治8)年のこと。売り出したのは、東京・両国若松町にあった米津凮月堂(ふうげつどう)が最初だといわれています。
販売当初は、チョコレートとカタカナやローマ字で書いたりせず、「貯古齢糖」や「猪口令糖」「千代古齢糖」「知古辣」などと、和菓子や漢方薬のような名前で販売していました。
ところが当時は、「貯古齢糖には牛の血が入っている」などという風評が流され、日本人の多くは不気味がって口にしませんでした。
そんな人気のなかったチョコレートを日本人として初めて食べた人たちがいました。1873(明治6)年にヨーロッパ使節団として出かけた岩倉具視(いわくらともみ)、大久保利通(おおくぼとしみち)といった政治家や、津田梅子(つだうめこ)などの知識人です。
同年1月21日、岩倉一行はフランスでチョコレート製造場を見学し、その際、「カカオ豆を煎いって粉末にして砂糖をまぜて型に流しこむ」などチョコレートの製造工程を見学してから、実際につくられたチョコレートを食べさせてもらったようです。
後に、使節団が正式な報告書として政府に提出する『特命全権大使米欧回覧実記』」には、「其味香(そのあじこう)ニシテ、些(いささか)ノ苦味ヲ帯(お)フ」と記録されています。味のことはかいてありますが、「おいしい」とは書かれていないことから、やはりいままでとはなじみのない、不思議な味がしたのではないでしょうか。
2ページ目 知識人たちの努力と啓蒙で一般に広まるチョコレート