江戸時代、結婚するときはとくに婚姻届を提出する必要もなく、気軽に夫婦になることができましたが、離婚するのは大変でした。幕府の法によって、離婚する際には離縁状が必要だと定められていたからです。
もし、離縁状なしで離婚した場合は、夫婦ともに罰せられました。また離縁状を持たずに妻が再婚した場合は、重婚罪・姦通罪に問われました。
離縁状は、離婚する理由、のち誰と再婚してもかまわない、といったことを三行半にわたって書き記したことから、一般に「三行半(みくだりはん)」と呼ばれていました。ただし、この三行半は必ず夫が書く必要がありました。
文字が書けないものは、文章の代わりに「鎌と椀」の絵を書いて、意志を示しました。つまり「かまわん」ということです。
このように書いてしまうと、一般的に江戸時代の英魂は夫が妻を追い出すことが多かったと思われがちですが、実際はそうではありませんでした。
夫側にはなかなか離婚に応じられない理由がありました。例えば、妻が持参金とともに嫁いできたとき、夫側から離婚する場合はそれを返す義務がありました。また、妻に去られた夫は甲斐性なしとみなされ、再婚することも難しかったようです。
このような理由から、夫側はなかなか三行半を書こうとしなかったというのが実情だったようです。
3ページ目 夫に不行跡があっても世間的には離婚が認められない