三代将軍・徳川家光は『忍び旅』なんてできたの?
皆さんは、『将軍家光忍び旅』をご存知でしょうか?1990年代前半に放映されていた、江戸の三代将軍・徳川家光を主人公とした時代劇です。昭和53年~平成14年までレギュラー放送され、大人気だった『暴れん坊将軍』の休止中に放送されていたこともあり、覚えている方も多いかもしれませんね。
このドラマは、家光が無名の役者である「新吉」を影武者に仕立てた上で、「浪人・徳山竹之進」と名乗りお忍びでの旅をしていくストーリー。道中で庶民たちの暮らしに触れ、悪人を退治していき、その中に対抗勢力との対決もあったりと、盛りだくさんの内容でした。
将軍の行動が制限されるようになったのは四代将軍あたりから
ところで気になるのは、将軍である家光は「お忍び」で出歩くことが、本当にできたのか?ということ。
将軍と言えば、いわば当時の武家社会の頂点であり、それだけに制限だらけで自由のない生活を余儀なくされていた印象があります。大奥の女性と夜を共にするにも、様々な決まりを守らなくてはならなかった上、歴代将軍の命日のように床入りできない日もあったくらいです。
実は将軍の自由が厳しく制限されるようになったのは、四代将軍・家綱あたりからのことでした。
その厳しさといったら、現代の私たちから見ると「常軌を逸している」と言っても過言ではないくらい!
例えば、将軍が外出するときには「将軍の通り道は掃除をし、通り道にあたる家々は戸を閉める」「商店は営業中止」など、さまざまな制約が設けられていました。
でも家光の頃はまだそこまで厳しい制約はなく、将軍といえどもかなり自由に外を出歩けたのです。
2ページ目 家光、立ち寄った農家で初の「サンマ塩焼き」に感動