血と死と殺し合い…ケガレにまみれて生きる武士たちが信心深い理由とは?

「南無八幡大菩薩!」

戦場で最後に生死を分かつのは、人智の及ばぬ神の領域。

多く人を殺すが故に「武士は神をも恐れない」なんて、とんでもない誤解です。むしろ武士ほど神仏を畏れ、験(ゲン)を担ぐ商売もそうないのではないでしょうか。

神仏に見離されたら、死ぬからです。

その一方で、神仏は「ケガレ」を嫌います。

「ケガレ(穢れ・汚れ)」とは、死や流血など、そうした忌まわしいもろもろを指す概念ですが、武士はその「死」や「血」といったケガレにまみれて生きています。

その理屈で言えば、武士はこうした戦いから遠ざからねばならない筈ですが、戦わねば生きて行けぬ彼らは、この矛盾や葛藤と、どのように向き合っていたのでしょうか。

その一つのヒントが、武士道のバイブル『葉隠』に記されています。

(葉隠に関してはこちらの記事もぜひ!)

死ねばいいってもんじゃない?武士道のバイブル「葉隠」の有名フレーズが伝えたかった基本精神

江戸時代の鍋島藩士・山本神右衛門常朝(やまもと じんえもん じょうちょう。万治二1659年6月11日生~享保四1719年10月10日没)が口述した武士の心得を、同藩士の田代又左衛門陣基(たしろ またざ…

3ページ目 神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども……

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了