江戸時代、「八百善」と言えば高級料理店として大人気!
お茶漬だけでも十数万円!?もてなしも値段も最高峰、江戸時代の三つ星料理店「八百善」
和食が2013年に世界遺産登録されて、話題となりましたが、それをさかのぼること159年前、海外の要人をもてなした最高の料亭がありました。それが、本項で紹介する江戸料理の名店・八百善です。江戸一番の…
でも、最初から人気だったわけではないのです。かつて、八百善の栗山善四郎は八百屋と乾物屋を営んでいたそう。お寺が多いエリアだったため、精進料理の仕出しを始めるようになったのでした。店の名前・八百善も、「八百屋の善四郎」が短くなって、八百善になったんですって。
葛飾北斎も挿絵を描いた料理本「料理通」のヒット
そして、2代目のときに、料理屋に転身します。いよいよ料亭「八百善」開業ですね。そして、店が有名になる、最初のきっかけが、寛政3年(1791)の大津波です。深川洲崎の升屋さんが潰れたことで、そこの店の得意客が八百善に流れてくるように。
このチャンスを無駄にせず、コツコツと仕事に励むことで、お客様もどんどん増えました。俳諧や三味線などの付き合いもあったため、文人・絵師や芸人のお客様もたくさん!これが、料理本「料理通」のヒットにもつながるのです。
この本を簡単に説明すると…八百善の献立を識別に紹介するだけでなく、料理法などもわかりやすく書いているというものですね。この「料理通」の序文や挿絵を担当したのが、狂歌で有名な大田南畝(蜀山人)や詩人の菊池王山、絵師の酒井抱一、葛飾北斎など、名だたる豪華メンバー!
そう、彼らも八百善の常連だったのです。魅力的な内容で、序文や挿絵も魅力的とくれば、売れないはずがありません。第二編、第三編と次々と発行されます。この本を眺めながら、「いつかは八百善に行ってみたい」と憧れる庶民も多かったのかもしれませんね。