皆さん、お米食べていますか?
最近はパン食の方も多いと聞きますが、やっぱり「日本人ならコメの飯」という方もまだまだ多いと思います。しかし、コメの飯がいくらでも当たり前に食べられるようになったのは、つい最近のこと。
今回はそんな、腹いっぱいのコメの飯を夢にまで見た、とある男の昔ばなしを紹介したいと思います。
働けど、働けど……いつも「ひだりぃ」男がおりまして。
昔むかし、日向国(ひゅうが/現:宮崎県)のとある村に、大喰らいの男が住んでおりました。男はいつも「ひだりぃ、ひだりぃ」と言っていたので、本名ではなく「ひだりぃどん」と呼ばれていました。
ちなみに「ひだりぃ」とは「ひもじい、ひだるい、空腹」という意味です。
このひだりぃどん、決して怠け者ではなく、いつもせっせと田を耕し、米作りに精を出してはいましたが、米はみんな年貢(税金)にとられ、百姓の手元に残るのは、腹持ちの悪い稗(ヒエ)や粟(アワ)などの雑穀ばかり。
ヒエやアワと言うと、あまり馴染みがないかも知れませんが、筆者の経験では小学校の頃、ニワトリのエサによくあげていました。やせた土地でも育つので助かりますが、米ほどたくさんは穫れませんし、肝心の味も米に比べて今一つ。
そんな訳で、今日もひだりぃどんは「ひだりぃ、ひだりぃ」と言いながら、決して自分の口には入らない米を、汗水流して育てるのでした。
「一度でいいから、コメの飯を腹いっぱい喰いてぇ!」
そんなひだりぃどんの不満が、ある日ついに爆発しました。ある頃から、夜中になるとひだりぃどんが村を抜け出し、クワを担いで山の中へ入っていく姿が目撃されるようになりました。
村の衆は日に日にやつれていくひだりぃどんが心配になり、ついにある夜、村の一人が山へ入っていくひだりぃどんを尾行。真っ暗でうす気味悪い山奥に、ついにひだりぃどんの居場所を突き止めました。
何とひだりぃどんは、誰も来ない山奥に「隠田(かくしだ)」を作っていたのでした。