空海(くうかい)が日本に男色文化を広めたとされていることを以前紹介しました。
男色の開祖?女犯を禁じる仏教だけど男はOK、空海は日本の仏教界に男色ブームをもたらした
日本仏教における男色文化日本の仏教では、古くから女犯(にょぼん:女人との性交渉を絶たねばならない僧がそれを犯して性交渉を持つこと)は罪とされていました。仏門に入れば女人との交わりを絶って修行をする…
今回はそれに関連して、「風信帖」のやりとりでも知られる最澄との、弟子をめぐる三角関係エピソードを紹介します。
密教では空海の弟子となった最澄だけど……
平安時代の僧としては空海と並ぶほど有名な最澄(さいちょう)。天台宗の開祖として知られています。当時の最澄は空海よりも名の知られた、いわば仏教界のスターのような立場でしたが、実は密教に関しては空海に教えを請う弟子の立場でした。
悲劇は、この弟子入りに始まるのです。
最澄、可愛がっている泰範を空海に弟子入りさせる
もともと僧としての立場は違えど、「風信帖」のような手紙のやりとりをするなどそれなりの交流はあった二人。
最澄は伝法灌頂(でんぼうかんじょう)という、真言宗で阿闍梨の位を授かる儀式を受けていなかったため、空海が格下であるにも関わらず彼がすでに儀式を受けていたために弟子入りしました。
ところが、空海は「理趣釈経(りしゅしゃくきょう)」という真言密教の教典を貸してほしいという最澄の頼みを断ります。書物から得られる知識だけで真言密教を理解しようとした最澄に、空海は「密教は体験を通して理解するもの」と手紙に書いて送ったとか。
最澄は空海に弟子入りしたとはいえ、身軽にホイホイ会いに行って修行できる立場ではありません。高僧ですから。こういうちょっとしたズレから二人の関係は悪化していくのですが、それを決定的なものにしたのが弟子である泰範の存在でした。最澄は空海に弟子入りするにあたって、自分の弟子たちを複数空海のもとへ送っているのです。身軽ではない自分の代わりに学んで来いということでやった弟子でした。
その弟子のなかには、最澄が後継者と目していた泰範もいました。