日本仏教における男色文化
日本の仏教では、古くから女犯(にょぼん:女人との性交渉を絶たねばならない僧がそれを犯して性交渉を持つこと)は罪とされていました。仏門に入れば女人との交わりを絶って修行をするのが僧侶のあるべき姿でした。
ところが、男性との交わりに関しては罪に問われず、僧侶と稚児(少年の修行僧)との男色(衆道)はある種仏教界の文化となって、近代にいたるまで続いていました。もともと剃髪しない元服前の少年修行僧を指す「稚児」という呼び名が、転じて「男色相手の少年」の意味でとられるようになったのも、僧侶と稚児の男色関係がいかに一般に広く根付いていたかを物語っていますよね。
日本では武士の世界においても武将と小姓との間に男色関係があったという例は数知れず、また江戸時代に流行した陰間茶屋(少年版の売春居酒屋・料理屋)の例を見ても、男色が世間で浸透していた文化であることがわかります。ごく最近まで同性愛などはタブー視されていたように感じますが、それは明治以降のこと。それ以前は意外と普通に受け入れられていた文化だったのです。
それほど日本の文化と切り離せない「男色」文化ですが、実は最初に日本に持ち込んだのは空海だと言われていることをご存知でしょうか?