江戸時代の旅行事情。今回は宿場について紹介します。
これまでのバックナンバーはこちら。
まさに荒行!江戸時代の旅行では1日40㎞も歩く旅人もいた。江戸時代の旅行事情【1】
庶民は旅行禁止の江戸時代、旅に出るための抜け道とは学校では修学旅行、会社では社員旅行、家庭では家族旅行、一匹狼のアウトローには気ままな一人旅と、現代の日本では、観光や旅行は庶民にとって身近な娯楽と…
なんと江戸時代にもあった旅行積立、そして高級ツアーも。江戸時代の旅行事情【2】
貧しい庶民でも高額な旅行に参加できる可能性も・・・。前回の「まさに荒行!江戸時代の旅行では1日40㎞も歩く旅人もいた。」では、無一文であってもお陰参りに参加できると紹介しましたが、[inser…
宿場の成り立ち『運送業始めました』
旅に欠かせないのは宿泊施設です。その役目を担っていた宿場にも様々な事情がありました。宿場と聞けば一般客向けの旅館街というイメージを持たれる方もいるかと思いますが、宿場が誕生した経緯や理由は公的なものでした。
宿場の主な役割として、公的(幕府や藩)な物資、書簡の運搬や公人に対して宿泊場所の提供しなければならないという義務が課せられており、宿場から隣の宿場へバケツリレーのように荷物を無償で運搬していました。その対価として税の免除や、宿泊施設としての独占経営権が与えられていました。
宿場が経営破綻して潰れてしまった場合、一番困るのは宿場の恩恵を受けている幕府や藩です。宿場は、現代で言うところの郵便局的な役割を果たしていましたので、幕府や藩は『宿場以外では人を泊めてはいけない』という御触れを出して宿場の保護を優先しました。
宿場以外泊めてはいけないというご禁制があっても、副収入になるため隠れて宿を貸す人も少なくなかったようで、旅の途中で何度も民家に泊めて貰ったという旅人が書いた記録も残っています。
有名な人通りの多い街道ならいざ知らず、人通りの少ない街道上では、この法律は機能していなかったようです。
ちなみに東海道53次の”次”は”継ぎ”という意味で、物資や人を次に繋ぐという宿場の役割を表わしています。