藤原定家の初恋の人だった?心に秘めた激しい恋を歌った式子内親王のお相手は…

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百人一首に唯一選ばれた女性皇族は賀茂の斎院

百人一首には天皇や皇族の歌も取り上げられていますが、女性皇族としてただ1人選ばれたのが、式子(しきし/しょくし/のりこ)内親王です。

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
(私の命よ、絶えるなら絶えてしまうがいい。このまま生きながらえたら、耐え忍ぶ力が弱まり、人に知られて浮名を流すことになるだろう)

「人に知られるくらいなら、死んでしまった方が良い」という心に忍ぶ激しい恋を詠んだ、現代でも人気のある歌の1つです。

後白河天皇の第3皇女として誕生した式子内親王は、平治元(1159)年から嘉応元(1169)年まで10年間、賀茂神社の斎院(さいいん)を務めました。斎院とは、賀茂神社に奉仕する未婚の皇女で、基本的には天皇が代わるごとに内親王か女王の中から選ばれていました。

退任後はほとんどの斎院が生涯独身を通していました。これには、そもそも女性皇族の結婚が極めて難しかったという事情もあったようです。式子内親王もこの例に漏れず、独身のまま生涯を終えました。

3ページ目 いったい誰?彼女の心に秘めた恋の相手

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